浅草寺の子院で、
葛飾北斎ゆかりの寺院です。
遍照院は現在の浅草六丁目、北斎のいた当時と同じ場所にあり、 江戸時代には浅草寺を囲むようにして三十数カ所あった子院のひとつで、現在も子院です。
かつてこの寺は他の子院と同様に境内に長屋を建て、これを貸し出していました(当時これを「隠し町」と呼んでいました)。
ただし、今ではその敷地もわずかとなり、門の向きも南から東へと変っています。 ここには、葛飾北斎が一時住んでいたことがあるといわれておりますが、寺院内には、北斎についての一切の記録も、記念碑さえもありません。 ただし敷地のすぐ裏が山谷堀(現在は暗渠)であることからすれば、この場所は当時の本堂裏に当たる位置であり、墓地もあり、おそらく北斎のいた長屋もこの近くにあったと思われます。
かつて遍照院の門は赤く塗られていたという記録がありますが、江戸時代にそれが赤い色だったかどうかまでは不明であり、雷門は赤くても、遍照院は観音様の子院で墓地があり、滅罪、回向の場であるからその門を赤く塗るのは比較的珍しいことです。
郷土史料には、葛飾北斎終焉の地・遍照院について、「元堂前の赤門には卍字の金章を附し 本堂には龍及鶴の彫刻があった」と記述されております。
正式名称 | 金龍山 遍照院(きん・りゅう・ざん へん・じょう・いん) |
宗派 | 聖観音宗 |
住所 | 東京都台東区浅草6-37-12 詳細地図(google MAP)はこちら |
施設 | 本堂、客殿、休憩所、墓所、駐車場 |
沿革 | 浅草寺の支院の一つ遍照院は、浅草六丁目にあります。 慶長年間(1596~1614)順慶法印によって中興され、第十七世遵和尚の時、 紅葉山御祈祷僧となり一山となります。 本尊は、阿弥陀如来。 ここでは浅草寺の一山の住職および一般の物故者の茶毘を行い、檀家寺となり現在に及びます。 檜前浜成・同武成の子孫の菩提所であり、江戸時代に「遍照院長屋」があり、 そこに葛飾北斎が一時住んでいたことがあるといわれます。北斎の最晩年のことであります。 |
アクセス | 東武伊勢崎線 浅草駅より徒歩10分 東京メトロ銀座線 浅草駅より徒歩12分 |