浅草のお墓の歴史

浅草のお墓の歴史

台東区は300軒を超える寺院が存在する都内有数の寺院密集地域です。
そのうち、浅草を中心とした地域においては、寺院墓地のほとんどが関東大震災後の帝都復興事業に伴って整備された「特設墓地」という形式をとっています。ここでは、浅草のお墓の歴史を語るのに外せない特設墓地の経緯についてお話しします。

(1)特設墓地誕生の経緯

江戸の市域拡張や市街地改造に伴い、江戸の既成市街地内から郊外への寺院の移転が、江戸時代を通して断続的に行われてきました。浅草の寺院集積地区も、明暦の大火(1657年)後の市域整備によって誕生しました。

現在の台東区の基本的な街区構造は、関東大震災(1923・大正12年)後の帝都復興区画整理事業に伴ってかたち作られました。この復興事業の際、浅草地域に存在していた寺院は当時の東京市より、郊外への移転を求められることになりました。幾つかの寺院は郊外へと移転したものの、移転先の用地取得が困難であったことや、移転に反対する寺院が多かったこともあり、寺院の移転は思うようには進みませんでした。

寺院の移転が遅々として進まない状況に対し、当時の東京市が妥協案として提案したものが、いわゆる「特設墓地」制度です。その内容を要約すると、墓所を防火・耐震・衛生・美観において特別に配慮をした特殊納骨設備として整備し、墓所面積を既存の1/3に集約するのであれば、郊外に移転せずとも街区内にて換地を与えられるというものでした。

現在、浅草地域に存在する寺院のほとんどが、この特設墓地を設けたことによって現在の地に残っています。都内にて現在確認されている特設墓地は237箇所、そのうちの6割にあたる144箇所が台東区内にあります。

関東大震災前年(大正11年)の浅草公園付近の空撮写真

関東大震災前年(大正11年)の浅草公園付近の空撮写真(文献3)。

中央を斜めに走る通りの右側が浅草公園になる。
東京における高層建築物の先駆けである浅草十二階(凌雲閣)、浅草公園六区の瓢箪池が見える。
通りの左側の地域(現在の西浅草三丁目)の大部分は寺院境内地で、墓地が大きく広がっていることが見て取れる。

は現在の当社社屋が存在する場所。


現在の地図

上掲写真と同地域にあたる現在の地図。震災復興を経て街区が整備され、中央の通りも拡張されている(現在の国際通り)。

浅草十二階は震災で崩壊、瓢箪池は戦後埋め立てられて建物の敷地になった。

先の写真でほとんどが寺院境内地であった西浅草三丁目地域では、寺院の移転や墓地の集約化により、寺院境内地が大幅に縮小していることが分かる。


(2)特設墓地の形態

特設墓地については、東京市の通達により以下の三点が承認手続条文中に示されました。

1)外塀の高さは6尺以上、出入り口に施錠装置を設け、外から墓地内が直接見えないようにすること。
2)墓地の床面を地盤面より2尺以上とし、地盤面の上にカロート(納骨室)を設置すること。
 (下町の低湿地においては、地中にカロートを設けると地下水が浸透する)
3)従前の墓地面積の1/3以下に集約すること。

この他にも東京市からは、特設墓地設計のための設計参考図も出されています。特設墓地相互の形態に共通性が見られるのは、これらの教示と参考図とが存在したからです。

特設墓地設計のための参考図。東京府の通達による。(文献2)

特設墓地設計のための参考図。東京府の通達による。(文献2)

関東大震災による墓地の罹災の様子 (文献2)

関東大震災による墓地の罹災の様子(文献2)

新設された特設墓地例・内部 (文献2)

新設された特設墓地例・内部(文献2)

新設された特設墓地例・外部 (文献2)

新設された特設墓地例・外部(文献2)


(3)特設墓地の位置付け

特設墓地は先に述べた通り、もともとは区画整理事業を進捗させるための特例的措置であり、将来的には納骨堂形式に移行すべき過渡期的な構造物として当時は考えられていました。そのためか、特設墓地という墓地形態については、研究者の間で必ずしも評価が高いとは言えません。なかには「墓地を囲い込んで街から切り離し、宗教的空間における墓地の意味を薄れさせる方向になった」という見解もあります。
しかしながら私は、以下のような理由から特設墓地を改めて再評価すべきだと考えています。

1)特設墓地誕生の経緯は、市街地に墓地が残ることに寄与し、アクセスに便利な都心型墓地を成立させた。郊外に大規模な墓地を設けるのではなく、地域コミュニティの中に小規模な墓地を設けることが都市住民の精神的重層性に繋がる、といった考え方は都市計画思想においてしばしば見受けられるが(例えば文献7、8)、特設墓地は震災復興事業の中において意図せぬままこれを実現したのではないだろうか。 

2)空地が少なく、合理的な土地利用によって稠密化しがちな下町の街区において、特設墓地の存在が開放空間としての役割を果たし、結果として街区の生活環境保全に資している。このことは、街中における宗教的空間の位置付けについて示唆するところが大きいのではないだろうか。

3)都市型墓地形態の先駆けとして、その後の市街地型墓地の設計に大きな影響を与えた。震災復興事業の当該地ではない地域においても、良好な設計方法として特設墓地型の墓所を建造する例も見られた。現在の都市型墓地の設計に特設墓地の設計思想が与えている影響には大きいものがあると考えられ、その歴史的意義は検討に値する。

関東大震災後の帝都復興事業の様子を今に伝える歴史的遺産であり、日本の墓地行政史上において特筆すべきメルクマールとなった「特設墓地」という墓地形態については、より一層の研究が待たれていると思います。


【参考文献】
1. 井下清『建墓の研究』雄山閣 1942(昭和17年)
2. 井上安元『墓地経営』古今書院 1941(昭和16年)
3. 復興局『帝都復興記念帖』 1930(昭和5年)
4. 鈴木理生『江戸はこうして造られた』筑摩書房 2000
5. 早稲田大学戸沼研究室「東京の寺町に関する研究1?12」日本建築学会学術講演便覧集 1990-1995
6. 田中傑「関東大震災後の寺院の経営と再建修正」
7. 田中傑「墓地の改葬が進む理由。」 『東京人』都市出版 2008.10
8. C.アレグザンダー『パタン・ランゲージ』 1977 (平田翰那訳 鹿島出版会 1984)

監修協力/市街地寺院研究会

【参考サイト】
市街地寺院研究会(まちでら研)
市街地寺院研究会(通称:まちでら研)は、 都市の生活空間を構成する寺院境内地と墓地の歴史をさまざまな専門的視点から解明し、 その知見をふまえて将来の市街地のあり方を考え、提言する有志の会です。

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