永六輔石碑

永六輔石碑

故永六輔さん 石碑

平成29年4月10日、故永六輔さんの石碑が竣工しました。
石碑が設けられたのは、永六輔さんのご実家となる、東京都台東区元浅草の最尊寺です。
竣工日の4月10日は、永六輔さんの誕生日です。
石碑の制作施工については、ご縁あって当社が手がけることになりましたので、ここにご紹介を致します。

永六輔石碑概要

所在地:東京都台東区元浅草3-17-17 最尊寺墓地内
石碑の文字は、永六輔さん直筆原稿を原版としています。


使用石種

■石碑本体・インパラブルー(アフリカ産黒御影石・両輝石斑れい岩)

南アフリカのラステンバーグ地方から採掘される灰黒色の石材の一種で、見る方向によってブルー結晶がチラチラ光ることが特徴です。

■台石他・真壁小目(茨城県産白御影石・黒雲母花崗岩)

茨城県西部に位置する常陸三山(筑波、加波、足尾)近辺にて採掘される真壁石のうち、目が細いものを真壁小目と呼びます。古くから使用されている歴史ある石材です。

http://www.ibarakiken.or.jp/makabe/makabeisi/(真壁石材協同組合ホームページ)

●彫刻文字はニューマによる手彫り彫刻です。
■手彫り彫刻の紹介
http://hakuta-stone.jp/formality.html

永六輔

昭和8(1933)年4月10日生まれ、平成28(2016)年7月7日没。
タレント、随筆家、放送作家、作詞家。本名は永 孝雄(えい たかお)。
リンク:永六輔ホームページ

最尊寺(さいそんじ) 沿革

永六輔さんのご実家

所在地:東京都台東区元浅草3-17-17
寿徳山最尊寺は浄土真宗(単立)の寺院で、永六輔さんのご実家にあたります。開基は釋教卯法師(慶長7年生まれ、元禄3年1月没)、400年以上の歴史を持ちます。

永六輔さんのお父様にあたる、第17世住職の永忠順さん(明治33(1900)年生まれ、平成2(1990)年8月26日没)は、市井の学者として生きた方でした。早稲田大学東洋哲学科を卒業、著書に『歎異抄のこころ』、エッセイ『おじいさんの日和下駄』、『バカになるしあわせ 息子・永六輔へ』、永六輔さんとの共著『旅=父と子』三部作などがあります。

最尊寺では、近年話題になることが多い永代墓を早い時期から設けています 。永代墓の竣工時、ラジオパーソナリティーで最尊寺檀家でもあった故秋山ちえ子さんが、ラジオ番組内でこの最尊寺永代墓について取り上げたときには、反響がたいへん大きかったそうです。


最尊寺と旧町名・浅草永住町

最尊寺の表札

最尊寺の表札は、未だに元浅草の旧町名となる「永住町(ながすみちょう)」表記のままになっており、昔の街の名残りが感じられます。この地は江戸時代より寺院が多く、門前町が形成されていましたが、明治2年に15ヵ寺の門前町が合併して「浅草永住町」が起立しました。


●永住町・町名由来
https://www.city.taito.lg.jp/index/kusei/abouttaito/kyuchomei/kyu-tyoumei.files/8-12.pdf
(台東区ホームページ「台東区の旧町名について」より)

浅草永住町は、作家の池波正太郎にとって生地であり、少年時代を過ごした愛着ある土地であったことでも知られます。台東区では昭和37年に住居表示に関する法律が施行され、これに基づいて昭和39年に「永住町」町名が消えて現在の「元浅草」に変わりましたが、その際、池波正太郎はこれを「愚劣極まる」として厳しく批判しました。

永六輔さんもまた旧町名には関心を持たれていたようで、本間信治『江戸東京残したい地名』という本の帯に紹介文を書かれているそうです。
●旧町名をさがす会・【台東区】浅草永住町
http://d.hatena.ne.jp/so102/20100730/1280498195

永住亭

最尊寺では、この旧町名を残した「永住亭」という寄席の会が、町内の若い衆によって運営開催されています。永六輔さんも肝煎としていらしていました。
●永住亭公式ブログ
http://ameblo.jp/nagasumitei/


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